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2007年05月31日

小説「正ちゃん ああ ふるさと」  台風

                 作:中馬正弘(なかままさひろ)

  台 風

 雲の流れが速い。樹木が揺れている。台風銀座沖縄に、台風5号グロリアが近付いている。米軍統治下の沖縄では、台風に米国女性の名前を付けるようになっていた。――女性のように、しとやかに過ぎ去るのを願ってか、それとも、女性のヒステリーが台風を連想させるのか。
 台所で調理をしているチルーが、充を呼んだ。
「水ガメ空っぽだから、水汲んできて」
 井戸水は冷たいが、石灰が多くて飲めない。飲水は、百メートル先にある泉の涌水を使っていた。 水汲みは、充の仕事である。充は、その仕事を、そろそろ正に分担させたいと思っていた。涌水は、年中冷たくて甘みがするくらい、おいしい。後に、正の一家が石川に移ってからも、時々、汲みに来るくらいだった。
「正ちゃん、手伝って」
「正ちゃんには、まだ早いじゃないかい?」
「大丈夫だよ、僕だって6才の時から一人でやっているんだから」
 2才の時、栄養失調を患った正にとって力仕事は苦手だった。それでも正は、充に言われるままに、水汲みに外に出た。
 正と充は、一斗潅で作ったバケツを棒に下げて泉に来た。充は、バケツをそのまま突っ込んで水を汲んだ。8割ほど水の入ったバケツを棒に下げ二人で担ぐ。バケツは充の方に寄せて下げている。だが、充と正は、五才も年が違う。体力のない正には、耐えがたいほど重い。棒が肩に食い込む。 水ガメは、バケツで7、8回運ばないと一杯にならない。 2回目までは、途中で休むことなく運んだ。3回目の時である。正は肩の痛みが耐えられない。
「少し休もうよ」
「もう少しだ、我慢して」
 充は、聞いてくれない。――もうだめだ、死にそうなくらい肩が痛い。 正は突然、歩みを止めて腰を屈めた。 バタンと、地に落ちたバケツが大きく揺れた。充は、そのバケツを手で押さえたが、水は半分位こぼれてしまった。水ガメまで後わずか、4、5メートルである。充は思わずカッとなった。
「何だ、後わずかじゃないか!」
 言葉も終わらないうちに、正の頭をポカリとやった。「うわ-ん」と正は、泣き声をあげて家に飛び込んだ。
「どうしたの?」
 チルーが、豆腐臼を挽く手を止めて聞いた。
「充ニーニーにぶたれた」
「充、弟をいじめたらダメだよ」
 チル-は、そう言いながら、珍しい事だと思った。充は、気は短いが弟をいじめる事は決してしない。年の差があるからか、充二が亡くなって後にすぐ生れた弟だからか、普段は弟思いである。その兄のお陰か、正は少年の頃、他所の子にいじめれた記憶が全くない。 今日の充は、よほど頭に来たのだろう。つい手が出た。
〈充は、この日の事は全く記憶になく、一度も弟を殴った覚えはないと言う〉
 しばらく正が居間でメソメソ泣いていると、「正ちゃん、闘魚捕りに行こう」と、従弟の光男が誘いに来た。正は急いで着物の裾で涙を拭いた。
「うん・・・・・・。お母、行ってくるよ」
 泉の水は、こんこんと涌き出ていて、水路を通って田んぼを潤おしている。素堀の水路には水草が生え、魚たちの恰好の住家になっている。水路の終点は溜池になっている。
 正と光男は、途中で空缶を拾って水路に来た。二人は草履を脱ぐと水路に降り、冷たい水に両手を突っ込んで、魚を追い始めた。光男はすぐ一匹捕まえて、水の入った缶に入れた。
「光男、どうして捕まえている?」
 不器用な正は、なかなか捕まえきれず、光男に聞いた。
「両手で水草に追い詰めてから、捕るんだよ」と、実際にやって見せ、2匹目を捕って缶に入れた。
 正も、その通りやってみた。追われた魚が、草にまとわりつかれピクピクしている。一匹捕らえて要領を覚えると、更に数匹捕ることができた。缶が一杯になると、二人は水路から上がった。 畦道に座って、缶の中のトーイユを数えた。12匹はいる。
「正ちゃん、底無し田まで行ってみないか?」
「ダメだよ。お母に、危ないからそこには行くなと言われているよ」
「大丈夫だよ。すぐ近くじゃないか。いいこと見せてあげるよ」
 光男が先に歩き出すと、正は、闘魚の入った缶を抱いて、渋々ついて行った。 美久地の田は、小さく畦道で仕切られている。畦道の二つ向こうに底無し田はあった。大人の背も立たない底無しの田で、周囲は草が生えている。 光男は、素っ裸になり、両手で畦道の草を握かむと田に入ろうとした。
「危ないから、やめて」
 正は止めたが、光男は構わず中に入り、頭まで沈んでみせた。泥から頭を出すと、片手を離して顔のドロを拭いた。驚いた正は、さらに止めた。
「もういいから、上がってよ」
 しかし、光男は、ますます面白がって、数回沈んだり上がったりして見せた。
「もう上がるよ」
 数分もしてから、光男は、やっと底無し田から出ようとした。ところが、泥で手が滑って、握かんでいる草を離してしまった。みるみる頭が沈んでいく。もがいている腕が沈んでいく。ビックリした正は、すぐに腹ばいになって左手で草を握かみ、右手を伸ばした。光男の指先が沈んで行くところだった。 正は、泥に手を突っ込んだ。間に合った。光男の手があった。必死に引き上つけた。そして正の腕を手繰って這い上がって来た。 二人は畦道でひっくり返って、大きく息をを弾ませながら、流れる雲を仰い
でいた。数分してから、光男は水路の水を浴び、泥を落として着物を着てから言った。
「正ちゃん、闘魚は全部あげるよ。僕はいっぱいあるから」
 家に帰ると正は井戸のそばにクワで土を掘った。捕って来た闘魚を池を作って飼うつもりだ。筵の大きさぐらいの池を作ると、井戸の水を汲んで入れ、そこに缶の闘魚を放した。澄んだ水の中の闘魚は美しい。青と橙色が、虎模様をなしている。闘魚は、名前のように闘争的な魚で、数倍も大きいフナも攻撃する。生命力が強く、小さいビンに入れ、餌を与えなくとも一月は生きる。肺呼吸をし、水から飛び出しても、数時間は生きている。 正は、じっと眺めていた。
「正ちゃん」
 いつの間にか、光男が背後に来ていた。
「松小が溜池に行こうと呼んでいるよ」
 先程の事は、まるで気にしていない。 正は迷った。光男とは、今日はもうコリゴリだと思った。もっとじっくり、闘魚を見ていたいとも思った。 しかし、松小が呼んでいる。おとなしい正は、自分の意志をハッキリしきれない。結局、ついて行くことになった。
「お母、泳いでくるよ」
「また、遊びにかい。台風が近付いているから、早く帰っておいで」
 北上中の台風五号は、狙いを定めたかのように沖縄に向かっている。
 溜池には、少女たちが先に来て泳いでいた。本家のカミー、瓦屋の清子、ヨシ子その他数名で、カミーがリーダーである。カミーは唖だが、勘がよく、明るい性格で誰からも好かれる子だった。
 小一時間も水遊びをすると、カミーは身振りで帰ろうと合図した。少女たちは、池から上がり、体も拭かずに着物をつけると、短い坂道を登って家に向かった。 松小の一団は、ペチャクチャおしゃべりをしながら帰ってくる少女たちを、松林の近くで見た。前方から来る少女の一団を見ると、松は号令をかけた。
「向こうから女たちが来る、捕まえて抱いた奴のものだ。かかれ-!」
 一団は「うわー」と散って、少女たちを襲った。正は、松の前でうろうろしていた。
「正ちゃん、お前も行くんだ。」
 正は、ちょこちょこと走って、皆の後を追った。 少女たちは、悲鳴をあげて逃げ回った。畑に飛びおりて逃げて行く者もいる。
林の中に逃げ込む者もいる。少年たちは一人ひとり追いかけていた。 ヨシ子が、一番後の方から来た。小道をそのままつっぱしってくる。正は、両手を広げて行くてをさえぎった。目の前で、ヨシ子が立ち止まると、抱きついた。ヨシ子は、逃げようとはしなかった。だが、その目はキッと正を睨んでいた。ドキッとした正は、すぐ手をゆるめた。ヨシ子は、正の側を走って立ち去った。
 少女たちを追いかけ、抱きついたりして散っていた少年たちは、再び松のところに集合した。
「どうだ、皆やったか」
「あゝ、やったよ。俺は清子を抱いたぞ」
「俺はカミーを抱いたぞ」と、それぞれ得意げに話している。
 正も、か細い声で言った。
「僕もやったよ」
 それから数分後、池では少年たちが素っ裸になって泳ぎ回っていた。正は、まだ泳げない。その正の背後から、樽がふざけて抱きついた。頭まで沈んだ正は、濁った水をたらふく飲んだ。
「ぷわー。樽、ダメじゃないか」
 水から顔を出した正が、拳を上げると樽は小さい滝の落ちているところへ逃げた。
 空は雲に覆われ、風は一段と強くなっている。まだ雨は降っていない。
少年たちは、池でたっぷり遊んで陸にあがっても、また、草むらでふざけあっている。誰一人、帰ろうとしない。 心配症のチルーは、正の帰りが遅いのでイライラして待っていた。そこへ、正に抱きつかれたヨシ子が来た。ヨシ子は、父親の布正の従兄妹にあたるが、正とは同じ年だ。
「おばさん、正ちゃんは悪い子だよ」
 先程の事を、一部始終チルーに告げた。言葉ほど怒っている風には見えない。
「分かったよ。ほんとに悪い子だ。今日は、うんと叩いてやるよ」
 今日のチルーは、一段と機嫌が悪い。先程も、充を叩いたばかりだ。リスのように臆病な正は、まだ叱られた事はない。親の機嫌を損なうような事は決してしなかった。充が叱られている時は、とばっちりを食わないように外で遊んでいた。チルーの機嫌の悪いときは側にいることはなかった。 一月ほど前、正が、ヨシ子とおはじきをして遊んでいるとき、チルーの大声がし、台所から逃げてきた充が、おはじきをけ散らして、外に飛び出した。チルーが追ってくるのを見た正も、外に飛び出し、充の後を追って西の山まで逃げたことがある。 この日は、遊びに夢中になって、帰りが遅くなった。チルーがカンカンに怒っているのも知らず、元気よく帰って来た。
「ただいまー」
 縫物をしているチルーは返事をしない。正は、「おやっ」と思った。
「お母、今日は面白かったよ。あー腹へった。何か食べるのない」
 正が台所に向かうと、チルーは、針と着物をほおり捨て、いきなり立ち上がった。
「何が、ただいま―だ。悪いことして。何時になると思うんだ」
 正は、母の顔を見て驚いた。目が吊りあがり、両目のそばは、青筋がはしり、顔は鬼のように真っ赤になっている。――これは大変だ、逃げなければ。 その正の腕を捕まえようとチルーは手を伸ばした。正は、後にパッと飛びのいた。また伸ばしてきたチルーの腕をスルリと抜け、その背後に回ると、そのまま裸足で外に飛び出した。チルーも裸足で飛び出して、後を追った。
 チルーは顔をあげ、腹をつきだし、両手を横に振って懸命に追った。しばらく追ったが、太っているチルーの足では子供に追い付けない。広場まで来ると、すぐに諦めた。――いつもは動きの鈍い正が、こんなに逃げ足が速いとは。 チルーは、半ば驚き、半ば悔しくなった。
「今日は、ご飯あげないからねー」
 正は、母の声を背に、後も振り返らずどんどん逃げた。
――自分を追っているのは、いつもの優しい母ではない。あれはきっと鬼だ。捕まったらおしまいだ。そう思うと必死だった。
 部落入り口まで来た正は、母が追って来ないのを確かめると、やっと立ち止まった。そこには広い屋敷に果樹をいっぱい植えた、丸タンメーの家がある。正は、その屋敷に入っていった。丸タンメーは、頭の毛は一本もなくツルツルで顔も丸い。タンメーとは老人という意味の方言である。
「正ちゃんじゃないか。どうしたんだ、そんなに息せき切って」
「うん。お母に怒られたんだ」
「そうか、そうか。こっちにおいで、おいしいバンシルーあげよう。さっき庭の木から取ったばかりだ」
 正は、タンメーからバンシルーを受け取ると一気に食べた。
「おや、おや、よっぽど腹がへっているようだな。おイモもあるよ。お昼の残りだけどな」
 一人暮らしの丸タンメーは、話し相手ができて喜んでいた。正を相手に、いろいろと昔話を聞かせてくれた。外の風音が強くなってきた。
「正ちゃん、もうお帰り。お母も、もう怒っていないよ。台風も来るしな」
「うん。タンメー、ありがとう」
 正は、お礼を言って外に出たが、家には帰らなかった。あの母の顔を思い出すと、とても帰れない。とぼとぼと部落入り口を出て大通りに出た。
 家では台風対策におおわらわだった。 茅葺木造の家は、台風の度に補強しなければならない。ジィさんは、ヤギ小屋に古い板を打ち付けていた。布正は、屋敷の裏の薮から四、五本細長い木を切り倒してきて、枝を切り落として細長い棒にした。そして、充を手伝わせて、木の棒で居間の戸を裏と表から挟んで、戸の隙間から細い麻縄を通して、棒と棒を堅く結んだ。 チルーと美江は、イモや野菜を洗っている。台風が過ぎるまでの食糧だ。一昼夜分は用意しておかねばならない。 布正は、麻縄で棒をくくりながら、チルーに聞いた。
「正ちゃんは、どうした」
「さっき、叱ってたら逃げて行ったよ」
「あの子は、叱られる子じゃないのに」
「それは、分かってはいるけどさ」
 チルーも、子供の性格はよく知っている。だんだん心配になって来た。
「充、探してきて。光男か清栄の家にいるかもしれないよ」
「うん、探してくる」 
 充は、光男や清栄の家や、心当たりの所は探してみたが、見つからない。30分程探して戻って来た。
「お母、どこにもいないよ」
「どこに行ったのかね。お母も一緒に探すよ」
 充とチルーは、部落の家を一軒一軒訪ねた。どこの家でも、暗くならないうちにと台風対策におおわらわだった。何軒も回った後に、丸タンメーの家の戸をたたいた。
「タンメー、名嘉真小だけど、正ちゃん見なかったかねー」
 戸は、すでにクギが打ち付けられている。タンメーの声が家の中からした。
「その声はチルーかい。正ちゃんは来ていたけど、さっき家に帰ったよ」
タンメーは、正が、すでに帰ったと思っていた。
「それが帰っていないんですよ」
「そうかい、てっきり帰ったと思ってたのに。それは心配だね」
 それから、近くの儀信の店に入った。日常品をちょっと置いてあるだけの小さな店である。正を見なかったかと聞いたが、儀信の妻の春子は見なかったと言う。
「一体、どこへ行ったんだろうね」
 二人が帰ろうとすると、奥から儀信が呼んだ。
「ウフガマに子供がいたよ。どこの子かと思ったが、正ちゃんだったかも知れないね。遠くてよく見えなかったけど」
 儀信は、ヤギの草をいっぱい刈って帰るとき、ウフガマの底にたたずんでいる子供を見て不審に思っていた。
「きっと正ちゃんだ。儀信さん、ありがとう」
 充とチルーは、急いでウフガマに向かった。
 正は、丸タンメーの家を出ると大通りを渡って、隣り部落の東恩納のウフガマまで来ていた。 ウフガマは石切場の跡である。正は最初、戦争の時にバクダンが落ちてできたガマだと思っていた。しかし、松に隕石が落ちてできたガマだと教えられ、今ではそう信じこんでいた。それは、幅も奥行きも百メートル程の広さで、20メートルの深さまで掘られ、三方の石の壁は断崖になっていた。東の方は岩山になっていて、ウフガチと呼ばれていた。大通りに面した南側の方は、荷馬車が入れるように斜面になっている。底は、ところどころ水溜まりになっているが、草木は生えていない。カエルが鳴いているだけである。 正は、斜面から下に降り、取り残された大きな石の上で膝を抱えて座っていた。一匹のヒキガエルが、大石に上って来て正とにらめっこをしている。風はウフガマの中でウズを巻いている。正は、強風にさらされながら、体を丸めじっと座っていた。「正ちゃーん」と風に乗って声がした。
――あ、充ニーニーの声だ。振り返ると、「正ちゃ―ん」とチルーが呼んだ。
「しまった。お母だ」
 正は、カエルより先に大石から飛び降りた。どこに逃げようか思ったが、逃げ場がない。大石に隠れた。更に、チルーが叫んだ。
「もう怒ってないから逃げないで―」
 正は、石の側から頭を出した。
「ほんとうー。ほんとに怒ってない―」
「ほんとだよ―」
 チルーの声は泣き声になっている。充も叫んだ。
「大丈夫だから、上がっておいで―」
 正は、やっと石の陰から出ると斜面を登り始めた。充が途中まで降りて来て、正の手を引いて、チルーのところに連れて来た。チルーは、今にも逃げ出しそうな正の手を捕まえてほっとした。正も、母の手の温もりを感じてやっと安心した。
 「バカだね。こんなに遠くまで逃げなくてもいいのに」
「だってお母が、恐わかったもん」
 帰る途中、とうとう雨が振り出した。風も急に勢いを増した。3人は追われるようにして家に帰った。 全ての戸は固定され、台所の小さい戸だけが開閉できた。3人は潜るようにして入った。美江が手拭を持ってきた。
「どこにいたの?」
「ウフガマまで行っていたよ」
「あんなに所に!」
 美江は、ズブ濡れの正の体を拭いて、着替えてあげた。
「よかった。早く見つかって。夜になったら大変だった」
 一家は、正が無事に帰って賑わいをみせた。子供たちは、台風の脅威より、一家がそろって、はしゃぎ回っている。
「夕飯できているから、食事を済ませて早く休みましょ」
 台風の時は、じっと過ぎ去るのを待つ以外にない。 ランプの火が揺らいで入る。板間からピユーピューと風が入り込む。真夏なのに肌寒い。一家は毛布を出して被った。 夜になると、もの凄い風になった。ゴーゴー、ヒューヒューと不気味な音が
聞こえる。得体の知れない猛獣が暗闇で荒れ狂っているようだ。グロリア嬢は、手の付けられないヒステリーぶりで暴れ始めた。 正は、奥のジィさんの部屋で寝た。――今日は朝から、いろんな事があったな。底なし田でのこと。ニーニーに殴られたこと。ヨシ子のこと。母に追われたこと。正は、台風のようにめまぐるしかった一日を思いだしながら、いつしか寝入った。
 明け方、バリバリッという物凄い音で目が覚めた。ジィさんも起きている。 壁は揺れ、家はきしむ。屋根の音が大きい。やがてバシッバシッと、一段と大きい音がすると、天井から雨が落ち、風が吹き込んで来た。屋根の茅の一部が吹き飛ばされたようだ。 ジィさんと正は、毛布を抱いて居間に逃げ込んだ。布正が起きて、明かりをつけた。ジィさんと正は、充と正三の側に寝た。
 夜は明けたが薄暗い。鶏も鳴かない。セミの声もメジロの声もない。台風グロリアは思いのまま暴れている。戸はガタガタと鳴り、今にも吹き飛ばされそうである。家の後の山羊小屋でバタン、バリバリッと音がした。山羊が鳴いている。充が、台所の壁の節穴から覗いてみた。
「うひゃー。小屋がなくなっている」
 便所は横倒しになり、山羊小屋は吹き飛ばされて、跡形もなく山羊は片隅にうずくまって鳴いている。
「布正、山羊を家にいれよう」
 ジィさんと布正は、ミノを着ると台所の戸を開けて外に出た。庭の木が折れている。風雨が頬をたたく。2頭の山羊は、重なるようにうずくまっていた。 二人は、山羊の首を抱いて起こし、引きずるようにして家に入れ、台所の土間に放した。
「誰かボロ切れ持って来て」
充と正が、布切れを持ってきて、山羊の濡れた体を拭いてやった。山羊は脅えたようにまだ鳴いている。 正午近くになって、急に風の音が小さくなってきた。間もなく、雨もやみ風も静まり、空が明るくなった。上空に薄い白い雲が現れた。台風五号は沖縄に上陸し、中南部は台風の目に入ったのである。台風銀座とは言え、上陸し、目に入るのは希である。グロリア孃は、しばし休憩に入った。 ジィさんと布正は、外に出て屋根に登った。茅が吹き飛ばされて大きな穴があいている。二人は、草を刈って穴に突っ込み応急処置をした。 子供たちは外に飛び出した。ミカン拾いに行くのだ。
「すぐ戻っておいでよ」
 ジィさんは心配している。台風は返し風が怖い。台風の目に入っている時間は短い。本家の屋敷は、種々の果物の木で囲われている。風が強く吹いた後は、多くの果実が落る。子供たちは競ってその実を拾いに行く。 松や光男は、既に実をいっぱい拾って帰るところだった。後から、布晋と仁王も来た。普段はめったに口に出来ないオートーやバンシルーがあちらこちらに落ち、枝や落ち葉に覆われていた。 充と正と正三は、手に持てるだけ拾って帰って来た。
「たくさん拾ってきたよ」 
 美江が、拾ってきた果物を洗って食卓に出すと、皆んなで、食事がわりに食べた。 晴間はつかの間だった。やがて、空は真っ暗になり再び強風が吹き始めた。一時間もすると、さらに物凄い暴風雨になった。今度こそ家が吹き飛ばされそうな勢いである。 親たちは、ハンマーと釘を持ち、更に戸や板に打ちつけている。床の隙間から強烈な風が筵を吹き上げたりする。子供たちも先程の元気はどこえやら、部屋の片隅で、毛布に足を突っ込み寄り添って座っている。 正午を過ぎても、風の勢いは衰えることはなかった。 ドンドンと戸をたたく人がいる。台所の戸を開けると、布正の弟の清樽一家が、ズブぬれになって地に這っていた。布正は、一人ひとり家の中に引きずり入れた。
「どうしたんだ?」
「屋根が吹き飛ばされた」
 裏の高台にある清樽の家は、トタン葺きだった。そのトタンが、全部吹き飛ばされ、家は傾いていた。一家は、暴風雨の中を命からがら避難して来たのだ。 それから2.3分もしない内に、「布正ヤッチ―、布正ヤッチ―」とカン高い呼び声がした。
「誰かね。台所に回ってくれ」
 布正は、戸に顔を近付けて叫んだ。
 2本の棒で押さえている台所の戸を開けると、儀信が風雨と共に転がり込んで来た。
「大変だ。丸タンメーの家が潰れている」
「それは大変だ。すぐ行くから、大屋のヤッチーも呼んできて」
 猛烈な風の中、布正と清樽、儀信は這うようにしてタンメーの家に来た。ヤッチ―もすぐに来た。 タンメーの家は茅葺屋根が吹き飛び、横倒しになっていた。タンメーの姿が見えない。
「おーい、丸タンメー、どこだー」
「ここだー」
 風雨の中、倒れた壁の中から僅かに声が聞こえる。
「大丈夫か―」
 布正とヤッチーが壁を起こした。壁は強風で吹っ飛んで行った。タンメーは柱に脚を挟まれ動けない。
「皆、手伝ってくれ」
 後から来た善孝も加え5人掛かりで柱を取り除いた。儀信がタンメーを担ぎ、店の入口を開け土間に降ろした。店と居間は続いている。奥から春子が手拭やボロ切れをもって来た。春子はタンメーの体を拭きながら、様子を聞いた。
「わしは大丈夫だ。脚をちょっと打っただけだ」
 家は全壊したが、幸いにもタンメーの怪我はたいしたことはなかった。脚を打撲しただけで済んだ。タンメーは儀信夫婦に任すことにして5人は家に帰った。我家も心配である。 台風は、その日の夕方まで荒れ狂った。
 翌朝、台風は去り、不気味なほどの静けさが戻った。
 風速50メートル、瞬間最大風速65メートルを記録した台風五号グロリアは暴れるだけ暴れ、多くの被害を残して去って行った。 美久地での被害は全壊3、半壊5。残りの家も、全てが多少の被害をこうむった。幸いにも、美久地ではたいした怪我人は出なかったが、沖縄県全体では数十人の死者と多くの負傷者をだし、家屋も作物も甚大な被害を被った。 首里では、家もろとも吹き飛ばされ、一家5人が即死。小禄、北谷、中城では火災が発生し、36戸が全焼。泡瀬の海岸近くの美浦部落は、全部落300戸がなぎ倒された。 一週間後の8月1日付けの「うるま新報」は、死者37名、負傷273名、全壊7564戸、半壊14839戸、と報じた。――大自然の前には人間の力は、かくも無力かと思うときがある。

 台風が去って清樽一家は自分の家に帰り後片づけをして、弟の布朝のところで当分世話になることになった。 布正一家も台風の後片づけが終わり、お昼の食事の時。チルーがつぶやいた。「せっかく植えたオクラも豆も全部ダメになって、これではいつまでも貧乏暮らしだね。台風が来なくても、やせた土地では幾らも収穫はないのに・・・・・」
「嘆いても仕方ないよ。茶園は大丈夫みたいだし、人生いつまでも冬がつづくとは限らんよ。いつかはきっと春が来るよ」
無学のジィさんは楽天家である。 美江が疲れた顔で言った。
「沖縄もサイパンも戦争だけでなく、台風にも痛めつけられて、本当にいやになるね。戦争も台風もなくならないものかね」 
 布正は、憤慨して言った。
「戦争は、もうコリゴリだよ。これ以上、勝手に戦争なんかさせてなるもんか。
台風だっていつかはきっと来なくなる。皆で祈っていけば、この沖縄が、戦争も台風もない、住みよい所になる日がくるよ。俺はそう信じている」
  


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2007年05月30日

小説 「正ちゃん ああ ふるさと」 三日戦争

               作:中馬正弘(なかままさひろ)

                          
――あの忌まわしい太平洋戦争も終え、3年が過ぎた頃、30数世帯の小さい部落、美久地の夏からこの物語は始まる。

三日戦争

朝露が消え、金色の陽光が射すころ、 樹木に止まったセミたちが、一斉に鳴きだす。鶏は、夜の明けぬ内から鳴いている。やがて、メジロがガジュマルの樹に、餌を求めてきて、 黄色い声をあげると、カゴの中のメジロも外に出たいと鳴く。
 美久地の夏の朝は、数千のクマゼミの大合唱と、鶏とメジロの鳴き声の大狂想曲で始まる。茅葺の正の家にも、板間から容赦なくこれらの音は入って来る。 正は、目が覚めたが、 しばらく外の狂想曲を聞いていた。 ジィさんは、すでに起きて、戸にもたれてタバコを吸っている。 母チルーと伯母の美江は、台所で朝食の準備をしている。父の布正は、すでに行商に出たのか、姿が見えない。
 正は、やおら起きだすと、顔を洗いに外に出た。 井戸の周りは、平たい大きな石が敷かれ、 洗い場になっている。 ところどころに苔が生え、滑りやすい。弟の正三は、滑って頭を打ち、 そのキズがもとで太陽のようなハゲができてい
た。井戸の傍らで、ゴキブリが仰向けになって死んでいる。正はしばらくじっと見つめていたが、やがて、その長いヒゲをつまんで持つと、洗い場の傍らに指で土を掘って埋めてやった。
「正ちゃん、 顔は洗ったかい?」
チルーが、台所から声をかけた。
「うん、今洗うよ」
 正は井戸の水を汲み、 洗面器に入れ、 指先をつけチョンチヨンと目の辺りをちょっと濡らした。これで顔を洗ったつもりである。この後、家には入らずに、小高い所にある遊び場に向かった。 ゆるい小さい坂道を登ると、 そこは部落の 東側の車道の行き止まりになっていて、そこから先は、畦道があって、池まで続いていた。行き止まりは、ちょっとした広場で、 子供たちの手頃の遊び場になっていた。 遊び場から、遠く南の方に目をやると、1キロ程先に瓦屋が見える。緑の樹木に赤い瓦が映えている。そこまでの小道は、長い坂になっており、 中間の谷間には、小川が流れている。 東の空から数機の黒い戦闘機が飛んで来て、正の
真上を通過し西の山へ消えた。 正は、しばらく遊び場でたたずんでいたが、 誰もいないので帰ろうとすると、充が呼びに来ていた。
「正ちゃん、朝食ができて、 お母が呼んでいるよ」
「うん、今、帰るところだったよ」
 二人が、ゆるい坂道を帰りかけた時、 突然、 土手の陰から「うわー」と、 時の声があがった。ウーマク松の一団だ。 松は、腰にパチンコをさし、手製のヌンチャクを振り回して、数名の部下を指揮していた。松が「それー、やっつけろー」と号令をかけると、一団は、充を目がけて襲って来た。 枝のついた竹を持った三人が、充をバシッバシッと打ちつけた。頭を押さえて後ずさりした充は、たまらず、くるりと背を向けると逃げ出した。「逃がすな-!」という声と共に、竹鉄砲やパチンコで、逃げる充の背に木の実のタマを撃ち続けた。パチンコから放たれた青い松の実が、充の右耳に命中した。充は右手で、耳を押さえながら、坂道を転げるように逃げ去った。
 少年たちは、「やったー、やったー」と得意げに引き返して来た。正は憤慨して松に食ってかかった。
「なんで充ニーニーをやっつけるんだ」
 いつもは、松の後について遊んでいる正である。
「俺のことをインチキ呼ばわりしたからさ」
 松にとっても、正は、かわいい子分である。だが、今は、その兄との戦争を始めたのだ。
「お前も帰れよ」
 正は、下唇をつきだして泣きベソをかきながら、家に帰って来た。充は、右耳を押さえながら家まで逃げ込んでいた。チルーは、大鍋に一杯イモを炊いて、朝食の準備をしていた。朝食の残りはユンムニーにして、夕食にするつもりだ。
 充の耳は真っ赤に腫れている。     
「充、耳はどうしたんだい?」
「松小にやられた」
「朝っぱらから、喧嘩かい?」
「いきなり、やられたんだ」
「とにかく、喧嘩はだめだよ」
チル-は、井戸水を汲んできて、手拭をしぼり、耳を冷してやった。充は泣いていた。耳の痛みよりやられたのが悔しかった。――多勢とはいえ、皆自分より年下ではないか。不意打ちさえ食わなければ、やられはしないのに。 何故、襲われたかは分かっていた。昨日の仕返しだな、と思った。 前の日、多くの子供たちが、部落広場で遊んでいた。広場は部落の中央にあ
り、そこには砂場もあり、大きなシンダン木も、緑の葉を広げていた。そこは部落の人たちの憩いの場であり、子供たちの遊び場でもあった。上の小さい遊び場は、松の一団が独占していたが、ここは皆の自由の広場であった。 女の子たちは、ケンケンパーをしている。カマレーや宗栄たち、数名の少年は砂場で、相撲をとっていた。充と松とその子分たちは、ゲッチョウをしてい
た。ゲッチョウは両端を斜めに切ったタバコの長さぐらいの棒を、30センチ位の棒でたたいて、遠くに飛ばす遊びである。
 一回目、松は十数メ-トルも飛ばして、得意になっていた。そして、二回目も思い切りたたいて、遠くに飛ばそうとしたが、空振りをした。しかし、彼が更に続けようとしたので、充が止めた。
「空振りして、棒が地面についたから、それまでだ」
「ついてなんかいない」
「ちゃんとついてるよ。お前はインチキだ」
「インチキなんかじゃない」
「インチキだ」
 充は、松の胸を押した。松は、二、三歩よろけて尻餅をついた。すぐ起き上あがった。
「何がインチキだ」
「インチキだから、インチキだと言うんだ。もういい、僕はやめたっ」
 充も気が強いが、小柄な松は、もっと強情だ。短気な充であったが、相手は年下だ、ここは自ら引いた。そして、そのまま家に帰っていった。 
――思い出してみると、昨日だって、松が悪いじゃないか。そう思うと余計悔しくなった。
「チクショ-、やっつけてやる」
 引き返して、すぐにも一人ひとり、コテンパンに痛めつけないと気がすまない衝動にかられたが、相手は多勢だ。それに飛び道具を持っている。悔しいが今日のところは、このまま引っ込むしかない。
「正ちゃん、松小に言ってこい、明日の朝、やっつけてやるから待っておけと」
「うん、言ってくるよ」
 松は、直ぐにも、充が仕返しに来ると思って待ち構えていた。だが、来たのは正だけだった。正は充が、今日はやられたが、明日、決着をつけに来ることを伝えた。
「明日の朝、来いと言っていたよ」
「いいとも。充も、必ず来いと言えよ。また、やっつけてやるから」 
 一団は、勝どきをあげた。
「今日は、やったぞ-、エイエイオウ。」
 一方、充は明日の作戦を考えていた。まず、今日の相手陣営を確認した。――松、樽、仁王、昇、布晋、光雄に、もう一人は清栄がいたな。全部で七名か。三人は竹ざお、二人は竹鉄砲、一人はパチンコ、それに松小はパチンコとヌンチャクを持っていたな。それに対応する準備をしよう。相手の飛び道具に対抗できるものはないか。――結論は出た。
「よしっ、竹刀とバクダンを作ろう」
 充は、カマを持って、家の後ろの薮に入ると、真竹を切り倒して来た。手頃の長さに切ると、手元の方を十数センチ残して、八つに割り、真中と先を紐でしばり、手元は布でぐるぐる巻いた。
「さあ、出来たぞ」
 そう言うと、その竹刀を手に取り、二、三回振ってみた。
「よしっ、次はバクダンだ」
 充は、台所に行くと、カマの灰を取り出した。
「正ちゃん、水持って来て」
 正が、 洗面器に水を入れて持って来ると、それで灰を練り、中に乾いた灰を入れて、マンジュウの大きさのバクダンを十数個作った。      
「さあ、これで準備オーケーだ」
「充ニーニー、大丈夫か?」
 正は、ちょっと心配になった。兄は攻撃ばかり考えて、防御はまるで考えていない。向こう見ずの兄の事だ、きっと正面から突っこんで行くに違いない。相手は鉄砲を持っている。タマが目に当たったら大変だ。正は、 ふと思いついて言った。
「プラスチックで防弾メガネを作ったら?」
 弱々しい正だが、智恵だけは一人前だ。 充は「それは良い考えだ」と言って、物置から透明のプラスチックの容器を探して来た。それを丸く切り取り、紐で結んで、両端にゴム糸をつけた。出来上がったメガネを早速掛けてみた。
「正ちゃん、どうだ」
「うん、良いよ」
 正はそう言いながら、クスッと笑った。――どこかのオジさんみたいだ。笑いをこらえて言った。
「明日は、耳をやられないように、手拭で頬かぶりもしたほうがいいよ」
「そうするつもりだ」
 充も、それは心得ていた。耳の腫れは、まだ引いていない。タマが当たったら、たまったものじゃない。二人は、明日に備えて、更に作戦を練った。 翌日、正がいつもの坂道を登って遊び場に来た。松の一団は待ち構えていた。
「充は、どうした?」
「やがて来るよ」
「お前は、どうする?」
「僕は、何もしないよ」
 正が、松たちの気を引いている間に、充は車道を遠回りして、松たちの背後に近付いていた。松たちは気づいていない。 充は、目にプラスチックのネガネを掛け、手拭で頬かぶりをして、腰には竹刀を差していた。そして、バクダンを包んだフロシキを腰に巻き、両手には一個づつ、灰のバクダンを持っていた。彼は、一団の背後のすぐ近くに来た。
「やいっ、松小、これでも食らえ」
 充は、灰のバクダンを投げつけた。それは松の頭をかすめ、後ろの布晋の肩に当たり、バクハツして灰が飛び散り、布晋とそのそばにいた清栄の目に入った。二人は、悲鳴をあげて、被った灰を両手ではたいて目をこすった。他の少年たちは、奇襲攻撃を食って、池の方向へ逃げ出した。充は、追いかけて、更に一発投げたが、これは外れて、地に落ちて飛び散った。
 松林の近くまで追いかけた充は、一旦引き返して来た。
 目潰しを食らった布晋と清栄は、目をこしりながら、うろうろしていた。充は、二人の胸倉をつかんだ。
「どうだ、参ったか」
「降参、降参」
充は二人に、ビンタを一発づつ張ってやった。
「正ちゃん、家まで連れて行って目を洗ってやれ」
土手で見物している正に、そう言い残して一団を追って行った。松林の方まで来ると、一団が待ち構えていた。「それー、打て―!」という松の声とともに、木の陰から数発のタマが飛んで来た。充は数十歩後退すると、屈んで腰から風呂敷を下ろして広げ、バクダンを置いた。両手に一個づつ持って林の近くまで行って投げつけると、その数倍のタマが飛んで来た。         
 松は「それー、行け―!」と号令を掛けていたが、振り回したヌンチャクが、勢い余って後頭部をしたたか打った。「アガー」と声をあげ、頭を抱えて、しゃがみこんだ。充の方からは見えない。            
 バクダンが切れた充は、小道を挟んで反対側にある製糖小屋に逃げこんだ。
何か武器になるものはないかと探した。あった。製糖小屋の裏に、製糖期の牛のフンがある。一昨日の雨で適当に湿っている。
充は、大きなやつを二つ抱えて来て、小屋の中でダンゴの大きさに握った。新兵器のバクダンが、18個できた。それらを、風呂敷に包んで外に出て、再び攻撃を始めた。 竹鉄砲やパチンコと、バクダンの激しい攻防戦が数十分も続いた。 遠くで畑仕事をしている大人たちが大声で怒鳴っているが、少年たちは聞く耳を持たない。充は、最後の一発を投げたが、相手の反撃はない。敵もタマが切れたようだ。ここぞとばかり、腰の竹刀を抜くと、「うおー」と唸り声をあげて、突っ込んで行った。充の気迫に押されて、一団は林から飛び出し、池に向かって、畦道を逃げ出した。光雄が、足を踏み外してニンジン畑に落ちた。足をくじいたらしい。 昇が降りて、担ぎ上げようとしているところを、充に追いつかれた。
 充は、竹刀を突きつけて「どうだ、やるかー」と怒鳴った。 
「降参だ」
「何が降参だ」
充は、畑のニンジンを、両手で二本引き抜くと、二人の頭をポカリポカリと殴った。
「うえー、降参と言ったのに」
 泣き虫の昇は、すぐに泣き出した。光雄は、拳を握りしめて充を睨んだ。昇は泣きながら、家に向かった。光雄は、その肩につかまり、足をひきずりながら帰って行った。             
――あと三人だ。充は、なおも追って行った。池まで来たが、残りの三人の姿が見えない。草むらに潜んでいるかも知れないと、用心深く探してみたが、どこにもいない。どこに逃げたか、どこを探してもいない。三人は小川づたいに瓦屋まで逃げていたのである。やむなく、充は諦めて家に帰った。 布正は、充の帰りを待ち構えていた。子供たちの喧嘩が激しくなって、大人たちが、心配し騒ぎ始めていたのである。手足を洗って、家に上がって来た充を、呼んで前に座らせた。先に帰っていた正も、その側に、かしこもって座った。
「充、いつまで喧嘩をしているんだ。怪我でもしたらどうする。」
 小さい時から、充の腕白には手を焼いたが、布正は、決して子供に手を上げることはなかった。しかし、説教が長い。
「喧嘩して、勝っても負けても、誰も得はしないぞ。喧嘩は、心に怒りがある
からするんだ。その時は、相手がどうなっても構わないと思っているから、大怪我をさせて後悔する。それでは遅いんだ」
 正が、生意気にも、うんうんとうなづいている。布正は話を続けた。
「戦争も同じだ」
 布正の話は、いつも飛躍する。
「戦争も、国と国の喧嘩みたいなものだ。相手が憎いとか、相手にやられるじゃないかという恐怖や不信から戦争を始める国もある。ほんとうに愚かなことだ。一切を破壊する戦争には勝者も敗者もない。戦争は悲惨なものだ。どちらも多くの人たちが死んでいく。可愛い子を亡くした親、親無し子になった子供たち。生き残った人たちも、心に大きな傷跡を残す。それは、なかなか消えるもんではないよ・・・・・」
 布正は、タバコを一息吸って吐きだした。
「お前は、 サイパンでの戦争の事は忘れたのか。戦争さえなければ、お父とお母が、防火訓練に行かなければ、充二も溺れて死ぬことはなかったはずだ。お父も不注意だった。幼いお前たちだけ残して・・・・・」 布正は、声を詰まらせた。 充も、今は亡き弟の名前を聞くと、下を向いて唇をかんだ。あの時、自分が充二を海までを連れて行ったのだ。 自分が、もう少し注意しておればと悔やんだ。当時はまだ5才である。 幼すぎた。 だが成長するに従い、痛恨の念は増していった。 又、あの美しい生まれ島、サイパンの街も野山も、戦争で全てが焼き払われてしまった。青い海さえも、灰色になっていた。友達も何人か爆撃で死んだ。少年の心は少なからず傷ついていた。―― 戦争が憎い。
< 後に彼は、反戦平和運動に身を投じていった。この時の思いが消えなかったのであろう>
「充、松小とは、まだやるつもりか? まだ気がすまんか。 それならどうだ、 相撲で決着をつけたら。 相撲は喧嘩と違う。一つのスポーツだ。 スポーツは勝っても負けても恨みはない。勝ち負けを決めるだけだ。どうだ?」
 充は、黙ってうなづいた。
「よしっ、これからお父がヤッチーと相談してくる」
早く父を亡くした松兄弟は、長兄のヤッチーが父親代わりである。彼は、ヘラクラスのような筋肉隆々とした男で、暴れる牛の角を両手で捕まえ、おとなしくさせたことがある。 布正から話を聞いたヤッチーは、 松と樽と仁王の三人を呼んで説得した。
話はまとまった。翌日の正午、部落の広場で対戦することになった。 その日は朝から曇っていた。 上空は頻繁に軍用機が飛んでいる。 ここ美久地は、飛行機の航路の真下になっている。カデナ空軍基地まで約八キロ。飛行機は低空で真上を通過していく。その轟音は、他の一切の音を遮断し、数千のセミの大合唱さえ、かき消してしまう。だが、部落の人たちは、 耳を防ぐ事もしない。慣れとは恐ろしいものだ。 それにしても、今日は一段とひどい。訓練の帰りだろうか、黒い戦闘機が、次ぎつぎと飛んで来る。 朝の野良仕事を終えた人たちが帰ってきた。畑の近い農家は、家で昼食をとる。子供たちの相撲があると聞いて、何名かが広場に来ていた。出場者もそろった。正も、ジィさんも、布正も、ヤッチーも来ている。
 審判は、カマレーがすることになった。部落で一番の相撲巧者である。彼に勝てる少年はいない。 最初に、充は、樽と対戦した。樽は、兄の松より体が大きい。カマレーは二人を組ませると、「始め」と背中をたたいて合図した。 樽は、すぐ右足を、充の内股に掛け、体を浮かしている。技を知らない充は力任せに振りまわしてみたが、樽の足が、からんでいて投げられない。樽は掛けた足をパッとはずと、充を担いで投げた。 充の体は、一瞬、浮いたが、両手で突き放すと、脇から地面に落ちた。沖縄相撲は地面に背中をつけなければ勝負は決まらない。 両者は、再び組んだ。樽は、すぐに足を掛けてきた。充は、左に振ったり、
右に振ったりするが、樽の体はくっついて離れない。足を外した樽は、もう一度、背負い投げにきた。そこをすかさず、両手で、樽を抱きかかえると、身を反らして後ろに投げ飛ばした。返し技が、見事に決まった。
「一本。勝負あり」
 審判が大きい声で言った。
樽は、すぐには起き上がれない。脳震盪を起こしたようだ。顔が青ざめている。ヤッチーが、しばらくクバの扇であおいでやると、やっと立ち上がった。 二番手は、仁王である。名前のとおり、部落で一番大きい少年である。体に似合わず、女の子みたいに優しい。カマレーに投げ飛ばされて、泣いて帰ったことがある。
カマレーの合図で組んだ二人だが、互いに振り回すだけで、なかなか勝負は決まらない。数分が過ぎた頃、充が組んだ手を放し、屈んで相手の脚を抱えてそのまま押し倒すと、仁王は仰向けにひっくり返った。「一本、勝負あり」柔道の両手狩りのワザである。充は、実践の場でワザを覚えていった。
 いよいよ松との対戦である。組むやいなや、松も足を掛けてきた。掛けられている間、充はなす術がない。松は、足を飛ばして内掛けにきた。充はよろけて尻餅をついた。組むとまた、内掛けで転がされた。樽や仁王の対戦でスタミナを使い果たしている。しかし、松にだけは負けられない。松も負けられない。意地と意地の勝負である。「チクショウ!」と叫ぶと、充は力任せに押し倒そうとした。松は待っていましたとばかり、その勢いを利用して、くるりと体を回し、背中に乗せて投げ飛ばした。充は「しまった!」と思ったが、一瞬、松の背の上で、体を捻った。腹から落ちて、したたか打った。息が止まりそうである。 
 充は、屈伸運動をして、間をおいてから組んだ。これ以上長引いたら不利だと思った彼は、一発勝負にでた。足を掛けている松を、一度右に振り、左に振り、再度、右に振った。そして、左に振るときに大きくのけ反り、自分も倒れながら、地面すれすれの所で松の足を引っかけて倒した。両者ほとんど同時に倒れたが、一瞬早く松の背が地に落ちた。意地が生んだ捨身のワザだった。「勝負あり、充の勝ち」 カマレーが力強く宣した。 やっと終わった││。松は、すぐ立ち上がったが、充は、息を弾ませながら、しばらく天を仰いで大の字になっていた。 その上空を、轟音を立てて黒い戦闘機、Bー29が飛んで行く。 
 少年たちの三日続いた戦いも、どうやら決着がついた。誰かがつぶやいた。
「まるで戦争みたいだったな」
「三日戦争だな」


 
  


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2007年05月28日

小説「正ちゃん ああふるさと」

 まえがき

 戦争が終わった。平和が来た。平和ほどありがたいものはない。
人々は、長い捕虜生活から解放されそれぞれの故郷へ帰った行った。故郷ほど懐かしいところはない。
 名嘉真の家族も故郷、美久地に帰ってきた。 サイパンのチャンランカ収容所で2年近く捕虜生活を送り、沖縄強制送還され、中部のインヌミムイに2週間、そこから石川の収容所に送られ、数ヶ月後にやっと捕虜から解放されたのである。
 正の祖父布三は、戦前にサイパンに渡り、南洋興発の開拓事業に従事した。南洋興発は、サトウキビ生産で成功しサイパンを一躍大繁栄させた会社である。布三ジィさんは、発展するサイパンに期待して長男の布正を呼び寄せ、親子で難儀な開拓事業に汗を流した。2、3年して少し余裕が得ると、残りの家族全員を呼び寄せた。妻のカマー、布正の妻チルー、次男の清樽、三男の布朝、長女の美江である。
一家は南洋での仕事がうまくいき、生活にも成功した。布三と布朝はオレアイで五千坪の農地に野菜や果樹を栽培した一大農家となり、布正夫婦は、ガラパン町の一角で自転車店を経営して繁盛し、清樽は薬の販売をし、美江は食堂勤めをして、皆仕事には困らなかった。
 布正はとチルーは子宝に恵まれ4人の男の子を授かった。充、充二、正の3人の子と捕虜生活の時に4人目の正坊が生まれた。
 一家の生活は沖縄での暮らしとは比較にならないほど裕福であった。 しかし、忌まわしい戦争が起き、サイパンで全てを失い、やがて捕虜となり、戦争が終わると沖縄に強制送還されたのである。戦争で直接犠牲になった者はいなかったが,開戦前、両親が防火訓練に出ている間に次男の充二が近くの海で水死した。正の祖母カマーも産後の肥立ちが悪く病死してしまった。充二とカマーの遺骨はサイパンに残したまま帰らざるを得なかった。一家は捕虜収容所から直接沖縄に送還され、ガラパンのお寺に預けあった遺骨を受け取る余裕がなかったのである。 お寺の納骨堂は被災を免れ、戦後十数年残っていたようである。
 正は、布正の三男としてサイパンで生まれたが、生まれ島の記憶は全くない。沖縄に来たのは3才の時だが、幼少を過ごした石川の片田舎、美久地での出来事は、ほとんど昨日のように覚えている。
 美久地に来てしばらくは、方言が分からず、遊びに出ても「なに言っているかわかんない」と、いつも泣いて帰って母に訴えていたが、1年もすると方言を話せるようになり、美久地の子供たちともすっかりなじみ、元気に遊ぶようになっていた。
 この物語に登場する人物は、全て実名か愛称を使わせていただいた。50余年も前の事である。全て時効になっていると思うし、当人たちも忘れているかも知れない。今は疎遠になっている美久地の人たちと一堂に集まって、思いで話をしているつもりで、また、正の子供たちにも幼い頃の正の家族や故郷の話を知ってもらいたいと願い、思い出話を文章にした。

 本書は、名嘉真家を中心にした物語だが、誰にでも故郷はある。この物語を読み、自分の故郷を思い起こして頂ければ幸いである。
  


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